ほぼ全ての創作物はオリジナル、0から生み出したものではなく、あるものを組み合わせたものだと、思っています。
とっくの昔にアイデアは出尽くされており、あとはそれを選ぶこと、組み合わせることだけかも。

いまある音楽の全てを聴いて選ぶ時間もないので、DJが代わりにちょうどよい曲を選んでかけてくれる。
インターネットもその流れ。
けしてネガティブな意味ではなく、ただ本質はそこかなと思い、
僕は勘違いしていないか?どうなのかと?うーん

そしてその場合、自分の作ったもの、自分の物なんてあるのか?
はたして。どうなのか?うーん
 
 
 

「―、誰だって思うはずだ、こういうものがあるのになんで新しく作る必要があるんだろうって絶望しない音楽家がいたらそれは恥知らずだ、完璧という概念を音楽にしたようなものだからね、でもみんながそこで止めていたら、ボクらはドビュッシーもヴェルディもワグナーも聞けなかった、そうだよね、去年だったかな、フランスの映画監督のゴダールという人がアンダーグラウンドに来てドキュメンタリーを撮っていったんだけど、非常に科学的な、ヨーロッパそのものという人で、自分はモノを作ったり表現したりしているわけではなくて、組み合わせているだけだと言っていた、組み合わせなんだ、と、とてもわかりやすいね、ボクも同感だ、爆破孔の配列も支保土の形も組み合わせだ、組み合わせ方なら無限に近く存在するだろう、モーツァルトとは別の組み合わせだってあるかも知れない、シンプルな組み合わせから恐る恐る出発して、少しずつその組み合わせが複雑になっていく、アイデアが出るとか発想がひらめくとかそんなものじゃない、―」

(via 五分後の世界)
 
 
 
 

Our creativity comes from without, not from within. We are not self made, we are dependent on one another. Admitting this to ourselves isn’t an embrace of mediocrity and derivativeness — it’s a liberation from our misconceptions, and it’s an incentive to not expect so much from ourselves, and to simply begin.

(via Kirby Ferguson on Creativity: Nothing is Original, Everything is a Remix. But Does it Really Matter?)
 
 
 
 

家もクルマもカネも肉体も時間も、すべてを自分のものだと思い込んでいるから自殺したりすんだ。すべてはレンタル。最終的にはツタヤに返さなくちゃならない。だいぶ延滞料とられっと思うけど、しったことか。

(via spongehole)

 
 

 
 
 
 
 
 


話は変わって、先日スケボーと冷蔵庫をペンキで真っ白に塗りました。
ペンキもいいですね。好きになりました。